物理の目的

2006年に提出されたT2K実験提案書において元々計画されていた物理の目的は以下のようなものでした。

  1. νμ → νe振動の発見(θ13 > 0の確認)
  2. νμ消失現象における振動パラメータの精密測定
  3. 中性カレント事象の観測によるνμ消失事象中のステライル要素の探索(中性カレント事象は全フレーバーのニュートリノによって生成されるので,欠損はステライルニュートリノへの振動を示唆しうる。)

“未解決問題”のページから明らかなように,1番目と3番目の目的は,今日のニュートリノ振動に関する最も優先度の高い疑問,すなわち,第3の混合角はゼロではないのか? ステライルニュートリノは存在するのか? という疑問に取り組むものです。2番目の目的はθ13を精度良く測定することに貢献しますが,それはある意味,θ13混合による電子ニュートリノ出現現象を探索するようにデザインされた実験は“自動的に”必ずθ23を研究するのにも丁度よいL/Eを選んでいます。実験をそうではないようにデザインしてしまうと,発見の機会を逃してしまいます。

スーパーカミオカンデは太陽ニュートリノおよび大気ニュートリノを研究する実験としてデザインされましたが,ニュートリノ振動実験の後置検出器としても多くの利点を持っています。検出器は非常に大きく,すでによく理解されており,電子とミューオンの分離に優れ,高いエネルギー分解能(1GeVで2.5%)を持ち,そしてバックグラウンドもよく抑えられています。これに関しては大気ニュートリノ振動の解析の一環として広く研究されてきました。水チェレンコフ検出器として,ミューオンや電子,光子を比較的多重度の低い事象において測定するのも最も向いています。しかし磁場を使わないので,生成されるレプトンの電荷を測ることはできず,したがってニュートリノと反ニュートリノを直接区別することはできません。

T2K前置検出器 ND280 はT2K実験専用に作られた検出器です。その主な目的は以下のようなものです。

  • νμビームの流束とスペクトルの測定(消失現象を正確に理解するために必要)
  • ビーム中のνe含有量とそのスペクトルの測定(出現現象の解析に必要)
  • 出現現象や消失現象の研究においてバックグラウンドとなる,もしくはステライルニュートリノの研究に必要となる様々なニュートリノ反応の精密測定

最初の2つの目的は振動実験の前置検出器において一般的で,ほとんど自明です。3番目の例は,中性カレントによるπ0生成 ν + p/n → ν + p/n + π0 の測定です。π0はすぐに2個の光子に崩壊し,スーパーカミオカンデでは電子らしい(輪郭がぼやけた)チェレンコフリングとして検出されます。その結果,もしπ0生成率がよく分かっていれば,この反応のサンプルは中性カレント事象を計数するのに使うことができ,したがってミューニュートリノがντ や νeの代わりにステライルニュートリノに振動しているかどうかに関する情報を与えてくれます。しかし,もし光子のエネルギーが極めて低く再構成できるようなリングを作らなかったり,2個の光子がお互いに離れずにリングが重なってしまったりしたために,光子の1個が検出されなかった場合は電子ニュートリノ出現事象として誤って観測してしまいます。電子らしいリングが1個しかない場合は,電子が1個だけ生成されたように見えるからです。したがって,いずれにしてもこの反応を理解することは重要です。

2011年3月の地震によって実験は予定外の遅れを生じましたが,地震より以前に収集されたデータはすでに電子ニュートリノ出現現象の小さな兆候をとらえていました。(KEKプレスリリース,もしくは専門的な詳細については論文を参照)しかし,これはまだ決定的な発見ではありません。ここで現れた信号(1.5個のバックグラウンドの見積に対して6個の電子らしい事象の観測)について,本物でない信号が偶然起こる確率はたった0.7%ですが,物理学者は毎年何百という実験を行っているので,実際それらの実験の1つが1%の確率で起こる事象を観測する確率は非常に高くなります。この理由から,一般に物理学者は決定的な発見と見なせる閾値を“5σ”に設定しており,これは偶然の確率がおよそ1700万分の1に対応します。それにも関らず,実験が収集を予定している最終データサンプルのほんの一部からこの結果が得られたことは有望で,なかなか捉えられなかった第3の混合角の測定という目的は,ついに手が届くところまで来たことを示しています。